2017年 第4回リトル東京短編小説コンテスト優秀賞受賞作品
「お正月 in リトル東京」物語
作:石井義浩
2017年1月1日(元旦) リトル東京のお正月イベント「お正月 in リトル東京」が行われているウェラーコートの一角に今年60歳になる石上正義は座っていた。
鳴り響く太鼓、威勢よく木槌を振り下ろす鏡割り、いつの間にか始まった餅つき、着物姿の女性たち、日本のお正月を思わせる風景を懐かしそうに見つめていた。石上の足元に一つのコマが当たった。近くでコマ回しをしていた男の子のものだ。拾い上げた石上は取りに来たその男の子に、「はいよ。明けましておめでとう」と渡した。ハーフ顔をした男の子はたどたどしい日本語で「あけましておめでとうございます」と言って親元へ走って行った。
1998年7月。 当時リトル東京ビジネスソサエティー(LTBS) の会長に史上最年少35歳で就任した武本一(たけもと・はじめ)は、トーレンスで行われている日系メディア主催の夏祭りに来ていた。会場内は歩くのも大変なくらいの人混みで、ステージや、屋内施設で所狭しと行われているイベント、展示、立ち並ぶ食べ物屋台、そこを縫うように神輿が練り歩き、まさに日本の夏祭りだった。
武本は夏祭りイベントの興行責任者の石上正義氏に会うことにした。二人は同世代だった。日本人離れが加速し、日本人商店も減少、日本人観光客までも激減したリトル東京に何とか活気を取り戻したいとの思いで日々悩んでいた武本はこのイベントは何か大きなヒントになると直感していた。武本は石上に会うなり「リトル東京にこのような活気ある、若い人たちが集まるイベントをやってくれないか?」と切り出した。「リトル東京か~。」石上は腕を組み、少し考えた後「協力は約束するが、どのような内容になるかは後日連絡したい」と答えた。
石上は考えた。「トーレンスと同じような夏祭りではダメだ。リトル東京の夏は伝統ある2世ウィークもある。すでにリトル東京にあるもので、リトル東京らしい、リトル東京でしかできないもの… それは何だろう?」 石上はリトル東京周辺の地図を開いた。石上は昔、日本食を食べたり、日本の漫画や雑貨の買い出しに数か月に一度は親が運転する車で、リトル東京に行くのが楽しみだったことを思い出した。
そしてふと気が付いた。「寺だ。」 リトル東京には西本願寺、東本願寺、高野山、浄土宗、禅宗寺など全て歩いて行ける距離にたくさんの寺が存在する。いくつかの寺に電話をしたら面白いことがわかった。複数のリトル東京周辺の寺は、檀家を招いた初参り(初詣)を行っていた。餅や雑煮をふるまったりしていた。またホテルニューオータニやジャパニーズビレッジ、日米文化会館、ホンダプラザなどとも大きな共通イベントがあった。
「お正月だ!」
だが、そのイベントは全く認知されていなかった。在米が長い石上さえ、これを知らなかった。 「なぜだ?」そのこたえは1つだった。「みんなばらばらにやっているからだ。」
石上は早速、武本に電話で正月イベントの概要を説明したいと連絡した。武本氏は「丁度LTBSの集まりがある、その席にはリトル東京周辺のホテル、レストラン、ビレッジ、お寺の代表なども出席するので是非、来て話してくれませんか」。 一週間後、会議には石上の姿があった。リトル東京のビジネスオーナーたちが並ぶその席で石上はたった一枚の企画書を配った。
「お正月 in リトル東京」 1999年1月1日(元旦)。
タイトルと日程、簡単に書かれた企画内容を見てもだれも口を開くものはなかった。武本会長が口火を切った。「どうでしょう、みなさん。」ホテルニューオータニの総支配人を務めていた吉村氏は声を上げた。「これですよ!」そして「今までみんなバラバラに、点としてやっていたお正月イベントを線で結ぶことにより、リトル東京の大きなイベントにすることができる」と続けた。
寺の代表者が「これをやると檀家のメンバー以外の方も初詣に来てくれますか?」と高揚した声で聞いた。「場所はどうするのですか?」石上は「ウェラーコートを中心にホテルニューオータニ、ジャパニーズビレッジ、日米会館、ホンダプラザ、周辺のお寺、全部で同時開催します。」
「やっぱり元旦ですか? お正月なので家でゆっくりしたいと思う人もいるのではないですか?」 との意見には、「家でゆっくりするのは他にすることと行くところがないからですよ。お正月イベントは元旦にやらなきゃ意味がないのではないでしょうか。」答えたのは石上ではなく、寺の住職だった。それがなぜかおかしくてみんな笑った。
石上は「日系コミュニティー誌、テレビ、ラジオなどに告知協力を頼みましょう。リトル東京は幸い、太鼓のグループや、獅子舞、空手教室、書道教室、着物の会の方や、餅つきなどお正月らしい催しができる環境が整っています、協力者もいる。おまけに初詣ができるお寺がこんなにあることがわかればきっと若い人や家族連れがたくさん来ますよ」と説明した。
会議は終了した。イベント開催は決定し、あとは細かいところを詰めるだけだった。石上の心は、踊りだしていた。
ところが、この後、思わぬ展開となった。「リトル東京がよそ者の力を借りる必要はない」との声が上がり、武本会長にクレームが届き始めたのだ。確かに石上の会社はトーレンス市にある。大手日系企業やその家族が多く住む場所だが、その昔リトル東京から移り住んだものも多い。そんなリトル東京を見捨てた日本人に助けてもらう必要はないというのだ。
リトル東京は長い歴史を誇る街だ。それ故、発言に力を持つ『重鎮』もいる。重鎮は地元で長年大きなビジネスを営み、ビジネス会の会長も歴任し、政治家とのつながりも深い。その名は黒田寛元。リトル東京で彼の存在を知らぬものはいなかった。石上のもとに、同氏の影響を恐れ元旦に餅つきの杵と臼を貸してくれるはずたった地元の人から、貸せなくなったとの連絡が入った。石上の会社のスタッフは、石上に「よそ者と言われてまでやる必要あるんですか。ましてやボランティアでの手伝いなのに」と詰め寄った。
しかし石上は言った。「いや、やろう。これはきっとリトル東京の新しい歴史になるイベントだから。」
数日後、LTBSの会議が再び行われた。前回の会議とは変わって、どんよりとした空気が流れた。「どうしますか?やりますか?」一人が重たい口を開いた。視線は石上に集中した。石上は静かに語りかけた。「それでもやってみませんか?このお正月 in リトル東京はリトル東京の新しい歴史になるイベントだと思いませんか?」 石上の言葉に一同は深くうなずいた。黒田ら、重鎮との摩擦を避けるため、杵や臼は石上がリトル東京とは関係のない知り合いから借りることにした。
お正月イベントがあと一か月後と迫ったある日、リトル東京ビジネスソサエティー主催のパーティーに、石上は招待された。お正月イベントの話題で盛り上がっていると、会場の中に小さなざわめきが起きた。 反対派の重鎮・黒田の登場だった。注目が集まる中、石上は黒田に近づいた。 「こんにちは。今度お正月イベントのお手伝いをさせていただく石上です。よろしくお願いします。」すると黒田は、ビールを持った右手を目線まで揚げるようにして、低い声でこう言った。 「あんた本当にあんなイベント成功すると思っているのか、俺は誰も来ないと思うね。よそ者はよそでやっていればいいんだよ。」グイッと一気に飲み干した。そのまま背中を向けて立ち去る黒田に石上は駆け寄った。 石上は満面の笑みを見せながら「そういわずに騙されたと思って見に来て下さいよ。 ね!」とよく通る明るい声で話しかけた。黒田はにこりともせず、取り巻き連中とともにその場を去った。
本番前日、大晦日夕方、ウェラーコートにはオープニングセレモニーを行うステージが設置され、紅白幕が張られ、餅つきや出店屋台も立ち並び始めた。当日は午前11時から午後3時まで。ビレッジやプラザでも同じ時間帯でイベントを企画した。地元で長年日本食卸をしている会社がイベントスポンサーとなり、鏡割りの酒樽も用意してくれた。あとは、たくさんの人の来場を信じるだけだった。リトル東京の空にはたくさんのきれいな星が輝いていた。
1999年1月1日(元旦)。朝8時から準備はスタートした。新年のあいさつもそこそこに、屋台を出す人、舞台でお正月パフォーマンスをするグループ、関係者などが集まり準備にいそしんだ。
午前10時。準備は万端だった。 しかし、肝心の客が来ない。 食べ物ブースの人が配ってくれた熱いお茶をすすったが、気が気ではない。皆、腕時計をちらちら見ている。 10時40分になった。やっと最初の日本人家族4人が登場。関係者の顔が笑顔になった。二組、三組、若いカップル、年配夫婦、ぞろぞろとウェラーコートのステージ前が一杯になった。徐々に2階が埋まり始めた。午前11時。最上階の3階までが人でびっしりと埋め尽くされた。
たくさんの女性が着物に身を包み、子供ははっぴを着ていた。司会者の「新年あけましておめでとう、Happy New Year in Little Tokyo!」の掛け声とともに鳴り響く太鼓。鏡割り、振る舞い酒、獅子舞、餅つきには長蛇の列ができた。ウェラーコートの後はジャパニーズビレッジ、HONDAプラザ、日米会館など人の足がどんどん伸びた。
用意した餅もお雑煮も昼前に完売。せっかく来てくれた方をがっかりさせてはいけないと急遽ホテルニューオータニが厨房でのもち米や、お雑煮づくりを協力、さらに多くの来場者を喜ばせることができた。石上に届いた途中経過報告は、各お寺も今までにない賑わいを見せ、対応に追われているとのことだった。 まさにリトル東京が一つになった。皆笑顔だった。成功を感じた。
が、その雰囲気を打ち消す人物がステージ前に現れた。黒田だった。羽織袴姿の仏頂面の黒田は、会場をじっくりと見回していた。取り巻きの男たちも文句を言いたげに関係者をにらみつけている。黒田は司会者に近寄り、酒を注げと目で合図をした。 升になみなみと注いだ酒を手にした黒田は、グイッと一気に飲み干した。
「プハー。」
大きく息を吐くとステージ近くにいた石上にずかずかと近づいてきた。 石上は近づいてくる黒田と目をしっかり合わせた。 黒田は連れの男に「もう一杯だ」と命令した。 黒田はその二杯目を無言で石上に渡した。関係者にも緊張の糸が張り詰めた。黒田はさらに一歩踏み出し、石上に顔を近づけ、低い声でこう言った。「ありがとう、いいイベントだ、来年は女房もつれてくるか。」 そして石上の盃と杯を合わせ、大声で笑った。
3年後、石上は、イベント運営にすっかり慣れたリトル東京の関係者に、お正月 in リトル東京を任せ、手を引いた。
後日石上にはリトル東京ビジネスソサエティーからお正月 in リトル東京の功績を称え、感謝状が贈られた。
挨拶に立った石上は「リトル東京のことを思う人はリトル東京の外にもいるんです。出て行った人も同じです。皆アメリカで生きていく日本人として誇れるものをみんなで考えればもっともっといろんなことができると思います。これからもみんな力を合わせてアメリカで胸を張れる日系社会を築きましょうよ!」と声を張り上げた。
笑顔で拍手を送る関係者の中に、あの黒田もいた。
終わり